いつかありがとうを言えるように

21年目に入ったアップルウェーブ。この春から日曜日の番組がリニューアル♪
アップルウェーブ&弘前の1週間をギュギュっと!詰め込んでお送りしていきますので、お付き合いくださいね。

20周年という節目にあたり、私自身のこれまでの20年を振り返ってみました。
その中で、私の人生に大きな影響を与えてくださった方がいます。
アップルウェーブの放送が始まった2000年3月、私は小学5年生でした。将来の夢は「アナウンサーか新聞記者」人に伝える仕事をしたいと、子どもながらに思っていました。
当時は叔父に勧められて、県域放送局のラジオ番組に投稿もしていました。父親のスパルタ文字校正(笑)が辛くはありましたが「自分の投稿をラジオで読んでもらえる」嬉しさを感じました。その喜びが、今日の仕事に生きているように思います。

ラジオに投稿するようになり交流が始まったのが、モータージャーナリストとしてご活躍し、モータープランニング設立者でもある、渡辺靖彰さん。様々な縁があって、青森県にもよくいらしていたそうです。ラジオ大好き少女が、ある番組の公開生放送に足を運んだ際にお会いしたのが、渡辺靖彰さんでした。
「こんなに小さいのにラジオ聴いて手紙を出すなんて、すごいじゃない~」
子どもながらに将来の夢を語ると「アナウンサー、絶対なれるよ。僕も応援する」なんて言ってくださいました。
それから何度か続いた手紙のやりとり。モーター業界の第一人者と文通。今考えると「とんでもない人と知り合いになったもんだ」なんて思います。
その渡辺さんから、こんなお手紙を頂いたことがあります。

「志織ちゃんがアナウンサーになれる日まで僕は頑張って仕事をして、その時に力になってあげなければと思っています。でもあと何年?きっと僕の力なんか借りなくても、自力でアナウンサーになれると思います。それを見届けてからでないと、僕は死ねないね」

この手紙を受け取った2年後、渡辺さんは亡くなってしまいました。

アナウンサーになるのを見届けてからでないと死ねない、って言っていたのに。いろんな思いがこみ上げてきました。
それから、高校、大学とたくさんの辛いことがあった中でも、渡辺さんの言葉があったから諦めずにここまでこれました。
それなのに、この不届きもの。いつしか記憶の片隅に追いやってしまっていたのです。

2019年末、実家に帰省した際に自分の荷物整理をしました。そのとき、ふと、渡辺さんからの手紙が目に入ったのです。そのまま吸い込まれるように読み返して。泣きました。温かな想いを注いでくださったこと、その想いをいつしか忘れてしまっていたこと、そして、もうこの世にはいないこと。

今の自分を形作るもととなったひと・もの・ことばがあること。それを忘れてはいけない。
いつか、渡辺靖彰さんにお会いしたときに、胸を張って報告できるように。「ありがとうございました」と言えるように。
弘前・津軽の皆さんと共に、アップルウェーブのパーソナリティとして、これからも歩み続けていきます。


           
近藤 志織
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カテゴリ:パーソナリティブログ